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法華経と大聖人
法華経の目的と付嘱

 法華経は二つの目的をもって説かれています。
 一つは釈尊在世(ざいせ)の衆生済度(さいど)のためであり、二つには滅後末法の衆生を済度する本仏(ほんぶつ)出現の予証(よしょう)のためです。
 すなわち釈尊は、法華経前半の迹門(しゃくもん)では声聞(しょうもん)等の弟子たちの成仏(二乗作仏にじょうさぶつ)を認可し、後半の本門では『寿量品第十六』で釈尊の本地(久遠実成くおんじつじょう)を明かして、在世・結縁(けちえん)の衆生を済度されました。
 その後、『神力品第二十一』において、法華経の肝要(かんよう)を四句(しく)の要法(ようぼう)として括(くく)り、これを上行(じょうぎょう)菩薩に付嘱(ふぞく)して滅後末法の弘教を託されています。

 

上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)の再誕(さいたん)

 この滅後の弘通を一身に担(にな)う上行菩薩について釈尊は『神力品第二十一』において、
 「如来の滅後に於て(乃至)日月の光明の 能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く 斯(こ)の人(ひと)世間に行じて 能(よ)く衆生の闇を滅し」(開結516)
と、仏滅後、末法時代に正法を弘通する上行菩薩は、凡夫の姿をした法華経の行者であることを示されています。そしてその行者は、正法弘通によってさまざまな難を受けることが多くの経文に記されています。それは、
 「此の経は、如来の現在すら、猶(なお)怨嫉(おんしつ)多し。況(いわ)んや滅度(めつど)の後をや」(法師品第十 開結326)
 「仏の滅度の後の 恐怖(くふ)悪世(あくせ)の中に於て 我等(われら)正(まさ)に広く説くべし 諸の無智の人の 悪口(あっく)罵詈(めり)等し 及び刀杖を加うる者あらん(乃至)数数(しばしば)擯出(ひんずい)せられ 塔寺(とうじ)を遠離(おんり)せん」(勧持品第十三 開結375)
 「一切世間に怨(あだ)多くして信じ難(がた)く」(安楽行品第十四 開結399)
と、いうものです。
 これらの経文どおり、仏滅後の末法の時代に凡夫僧として出現され、法華弘通によって数々の法難に遭(あ)われたのは、古今東西において日蓮大聖人ただお一人です。この値難(ちなん)について大聖人は、
 「今(いま)日蓮は末法に生まれて妙法蓮華経の五字を弘めてかゝるせめ(責)にあへり。仏滅度後二千二百余年が間、恐らくは天台智者大師も『一切世間多怨難信(たおんなんしん)』の経文をば行じ給はず。『数々見擯出(さくさくけんひんずい)』の明文は但(ただ)日蓮一人なり」(種々御振舞御書 1062)
と仰せられています。
 まさに末法に妙法蓮華経の五字を弘めて法難に遭われた大聖人こそ、真の法華経の行者であり、上行菩薩の再誕なのです。

久遠元初(くおんがんじょ)の御本仏(ごほんぶつ)

 この上行菩薩の再誕について大聖人は、
 「本地(ほんち)自受用(じじゅゆう)報身(ほうしん)の垂迹(すいじゃく)上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」(百六箇抄 1685)
と、その深義を明かされています。このことについて総本山第二十六世日寛(にちかん)上人は、
 「若(も)し外用(げゆう)の浅近(せんごん)に拠(よ)れば上行の再誕日蓮なり。若し内証(ないしょう)の深秘(じんぴ)に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり。故に知んぬ、本地は自受用身(じじゅゆうじん)、垂迹は上行菩薩、顕本(けんぽん)は日蓮なり」(文底秘沈抄 六巻抄49)
と、上行菩薩の再誕である大聖人の本地は、自受用身であることを示されています。
 さらに日寛上人は、『開目抄』に説かれている、
 「日蓮といゐし者は、去年(こぞ)九月十二日子丑(ねうし)の時に頸(くび)はねられぬ。此は魂魄(こんぱく)佐土(さど)の国にいたりて云々」(563)
の御文について、
 「此の文の元意(がんい)は、蓮祖(れんそ)大聖(だいしょう)は名字(みょうじ)凡夫(ぼんぷ)の御身(おんみ)の当体、全く是れ久遠元初(くおんがんじょ)の自受用身(じじゅゆうじん)と成り給(たま)い、内証(ないしょう)真身(しんしん)の成道を唱え、末法下種の本仏と顕れたもう明文(みょうもん)なり」(開目抄文段167)
と、文永(ぶんえい)8年9月12日の竜口(たつのくち)法難において、大聖人がこれまでの凡夫日蓮の垂迹身(すいじゃくしん)を発(はら)って、久遠元初の自受用身、すなわち末法の下種(げしゅ)本仏としての本地を開顕(かいけん)された釈されています。そして日蓮即自受用身との理由について、
 「一には種脱(しゅだつ)勝劣(しょうれつ)の故に(中略)二には行位(ぎょうい)全く同じきが故に(中略)三には本因妙(ほんにんみょう)の教主なるが故に(中略)四には文証(もんしょう)分明(ふんみょう)なるが故に五には現証(げんしょう)顕然(けんねん)なるが故に」(当流行事抄 六巻抄179)
の五義を挙げて証明されています。
 この自受用報身如来こそ久遠元初の本仏であり、その本仏所有の法が南無妙法蓮華経なのです。大聖人は、
 「三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以(もっ)て仏に成り給ひしなり」(法華初心成仏抄 1321)
と仰せられているように、この南無妙法蓮華経によって、インド応誕(おうたん)の釈尊を含む三世十方の一切諸仏が成道を遂(と)げているのです。まさに三世諸仏の成仏の根源たる南無妙法蓮華経を所持される自受用報身如来が、末法に日蓮大聖人として出現されたのです。
 したがって、大聖人こそ「末法の御本仏」であり、末法の一切衆生は釈尊の法華経では救われず、大聖人の文底下種仏法によってのみ成仏が叶うのです。

 
 
 
 

 

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