「宗教の五綱(ごこう)」とは、宗教の五箇(ごか)とも五義(ごぎ)ともいわれ、教(きょう)・機(き)・時(じ)・国(こく)・教法(きょうぼう)流布(るふ)の前後の五つのことで、仏法を正しく判断するために日蓮大聖人が説き明かされた教判(きょうはん)をいいます。これについて大聖人は、
「抑(そもそも)仏法を弘通し群生(ぐんじょう)を利益(りやく)せんには、先(ま)づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁(わきま)ふべきものなり」(聖愚問答抄402)
と示され、その各教判の内容については、『開目抄(かいもくしょう)』『観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)』『撰時抄(せんじしょう)』『報恩抄(ほうおんしょう)』その他、重要御書の各所に述べられています。
この五綱判(ごこうはん)によって、末法万年にわたる民衆救済の大法が、寿量品文底(もんてい)の南無妙法蓮華経であることが明確になるのです。
教を知る
教(きょう)とは、天台大師(てんだいだいし)が『法華玄義(ほっけげんぎ)』に「教とは聖人(しょうにん)下(しも)に被(こうむ)らしむるの言(ことば)なり」と述べられているように、聖人が悟られた法を言葉に表したもので、人々に道理を基本とする善悪の道を教え、正善(しょうぜん)に向かわしめることを目的としたものです。
世の中には種々の宗教があり、また仏教にも小乗教・大乗教・権経(ごんきょう)・実教(じっきょう)等がありますが、その中で何が真実であり、最勝の教えであるかを判釈することが大切です。
これについて大聖人は、
「教の浅深をしらざれば理の浅深も弁(わきま)ふものなし」(『開目抄』御書561)
と説かれ、その規範として「五重相対(ごじゅうそうたい)」「五重三段(ごじゅうさんだん)」等の判釈を用いられました。これによって、文底下種の大法が一切の教えの中でもっとも勝れた教えであると弁(わきま)えることが「教を知る」ことです。
機を知る
機(き)とは、衆生が仏の教えを受け止めようとする心の状態(機感きかん)、また教法に対する衆生の能力(機根きこん)のことをいいます。
釈尊在世に舎利弗(しゃりほつ)は、洗濯業の者に数息観(すそくかん)、すなわち、呼吸を整えて心を落ち着かせる法を教え、鍛冶職の者に不淨観(ふじょうかん)を教えたため、それぞれが一向に悟りに至りませんでした。
そこで釈尊は、洗濯業の者に不淨観を、鍛冶職には数息観という相応の修行方法を教えて、道を悟らせたといわれています。このように、法を説くには衆生の機根・機感を知ることが大切です。
釈尊の在世、並びに滅後の正法・像法二千年間の衆生は、釈尊との久遠(くおん)からの結縁(けちえん)によって、成仏の根本となるべき仏種(ぶっしゅ)がすでに下種されており、調熟(じょうじゅく)・得脱(とくだつ)のための教えを受ければ、ただちに成仏できる機類(きるい)でした。このような釈尊の下種を受けた人々は「本已有善(ほんいうぜん)」の衆生であり、釈尊の化導によって得脱を果たす「熟脱(じゅくだつ)の機」なのです。
これに対して釈尊の滅後二千年を経た末法の衆生は、仏となるべき種(たね)を持たない「本未有善(ほんみうぜん)」の衆生であり、大聖人の妙法蓮華経をはじめて下種されて成仏する「最初下種(げしゅ)の機」なのです。大聖人はこのことについて、
「今は既(すで)に末法に入(い)って、在世の結縁の者は漸々(ぜんぜん)に衰微(すいび)して、権実の二機皆(みな)悉(ことごと)く尽きぬ。彼の不軽菩薩(ふきょうぼさつ)、末法に出現して毒鼓(どっく)を撃(う)たしむるの時なり」(『曽谷入道殿許御書』御書778)
と、末法における本未有善の衆生が、下種の妙法によってのみ救われる機根であることを仰せられています。
時を知る
日蓮大聖人は、仏法における「時(とき)」の重要性について、
「仏教を弘めん人は必ず時を知るべし。(中略)時を知らずして法を弘むれば益(やく)無き上還(かえ)って悪道に堕(だ)するなり」(『教機時国抄』御書270)
と仰せられています。
釈尊は、自らの滅後の時代を正法・像法・末法の三時に区切り、教法の時代的特性を次ぎのように予言しています。
すなわち、正法とは、釈尊の教法が正しく伝わり、修行も証果(しょうか=悟り)もともに実効のある時代であり、像法とは、正法時代に像(に)て教法と修行はあるが、証果のない時代であり、末法とは、釈尊の仏法が衰(おとろ)え、教法のみあって真の修行も証果もない時代です。
この三時の中、正法一千年のはじめの五百年に迦葉(かしょう)・阿難(あなん)等が小乗教を弘め、次の五百年に竜樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)等が権大乗教(ごんだいじょうきょう)を弘通し、像法一千年には南岳(なんがく)・天台(てんだい)・妙楽(みょうらく)・伝教(でんぎょう)等が現れて、迹門(しゃくもん)を中心として法華経を弘めています。この正法・像法の二千年間は、釈尊の教法がもととなり、衆生は利益を蒙(こうむ)ることができました。
しかし、末法に入ると、仏法は隠没(おんもつ)し釈尊の教えでは衆生を救済することのできない時代となります。この末法においては、地涌(じゆ)の菩薩(ぼさつ)の上首・上行菩薩が出現して法華本門の要法を弘め、一切衆生を済度(さいど)される時代となるのです。 ここにいう上行菩薩とは日蓮大聖人のことで、まさしく末法は大聖人所持の南無妙法蓮華経の下種仏法が弘通される時となるのであり、このことを知るのが「時を知る」ことになります。
国を知る
仏法の弘通にあたっては、その国の国民性・文化・思想・社会的環境などや仏法流布の因縁を知ることが大切です。
大聖人はこの「国」について、
「国とは、仏教は必ず国に依(よ)って之(これ)を弘むべし。(中略)而(しか)るに日本国は一向に小乗の国か、一向に大乗の国か、大小兼学(けんがく)の国か、能(よ)く能く之を勘(かんが)ふべし(中略)日本国は一向に大乗の国なり。大乗の中にも法華経の国たるべきなり」(『教機時国抄』御書271)
と示され、日本は大乗のなかでも、特に法華経有縁の国であると決せられています。
さらに大聖人は、
「天竺国(てんじくこく)をば月氏国(がっしこく)と申す、仏の出現し給(たま)ふべき名なり。扶桑国(ふそうこく)をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ」(『諌暁八幡抄』御書1543)
と、日本は御本仏出現の本国であるとも示されています。
そしてこの日本から大聖人の仏法が全世界へと流布されていくのであり、これについて大聖人は、
「月は西より東に向かへり、月氏(がっし)の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相(ずいそう)なり」(『諌暁八幡抄』御書1543)
と示されています。
このように、日本国こそ仏法流布の根本の妙国であると知ることが「国を知る」ことなのです。
教法流布の前後を知る
「教法(きょうぼう)流布(るふ)の前後を知る」とは、教法を流布する順序・次第を知ることをいいます。
釈尊は、時代を経(へ)るに従(したが)って人々の機根(きこん)は次第に低下し、末法に入ると濁悪(じょくあく)の世となると説いています。この末法の人々を救うためには、前代の正法・像法よりさらに優れた教法が必要となります。
大聖人は、
「病によりて薬あり。軽病には凡薬(ぼんやく)をほどこし、重病には仙薬(せんやく)をあたうべし」(『妙法曼陀羅供養事』御書690)
と仰せになり、重病の者である末法の衆生には、より力のある根本的な教えが必要であることを明示されています。
仏教が弘まった歴史を概観(がいかん)すると、インドにおいて釈尊が出世して九十五種の外道(げどう)を破り、滅後には馬鳴(めみょう)・竜樹(りゅうじゅ)の論師が小乗を破して権大乗を弘め、次に中国では天台大師(てんだいだいし)が南三北七(なんさんほくしち)の権大乗の邪義を破り、実大乗経である法華経を弘めました。そして日本では、平安時代初期に伝教(でんぎょう)大師が現れて天台大師の教えを継ぎ、南都(なんと)六宗の権門(ごんもん)の義を打ち破って法華一乗を弘通しました。
大聖人は、
「教法流布の前後とは、未(いま)だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴(き)かざる者あり。既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり。必ず先に弘まる法を知りて後の法を弘むべし。先に小乗権大乗弘まらば後に必ず実大乗を弘むべし。先に実大乗弘まらば後に小乗・権大乗を弘むべからず」
と仰せられ、実大乗が弘まっているにもかかわらず、教法が順序・次第に反してそれより劣(おと)る小乗・権大乗を弘めてはならないと厳しく戒(いまし)められています。
したがって、実大乗である法華経が弘まるべき時に、禅・念仏・真言等の権経を弘めることは、仏の教説の本意に背き、仏法を乱すものとなります。
まさに末法は釈尊の仏法が隠没(おんもつ)し、大聖人の法華本門・寿量品の文底の要法たる南無妙法蓮華経が世界に弘通されるべき時代と知ることが「教法流布の前後を知る」ことなのです。
宗旨(しゅうし)の三箇(さんか)とは、「本門の本尊」「本門の戒壇(かいだん)」「本門の題目」の三大秘法(さんだいひほう)のことで、宗祖日蓮大聖人が説き顕された独自の教法であり、本宗教義の根本です。
仏教では、仏道修行者が必ず修行しなければならない基本的なものとして戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の三学を説いています。この三学の「戒」とは、積極的に悪を止(とど)め、善を勧(すす)めることであり、「定」とは、心の散乱を防いで鏡のような澄んだ清浄心(しょうじょうしん)になることであり、「慧」とは、煩悩(ぼんのう)の原因を明らかにし、仏の説かれる真理を体得することをいいます。
大聖人は、この三学と三大秘法の関係について、
「戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是(これ)なり」(『御義口伝』御書1773)
と仰せになり、仏教中の戒・定・慧の三学は、末法においてはそのまま三大秘法であると説示されています。
そして、大聖人は『三大秘法禀承事(ぼんしょうのこと)』に、
「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給(たま)ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり」(御書1595)
と仰せられ、三大秘法は法華経の根源の法体(ほったい)であることを明かされています。
三大秘法には、本門の本尊に「人(にん)」と「法(ほう)」、本門の戒壇に「事(じ)」と「義(ぎ)」、本門の題目に「信(しん)」と「行(ぎょう)」という六義(六大秘法)の立て分けがあります。
これらは個別の存在を示すものではなく、この六大秘法を合すれば三大秘法となり、三大秘法はさらに一大秘法に納まります。また、この一大秘法を開けば三大秘法となり、さらに開けば六大秘法、またさらには八万法蔵(はちまんほうぞう)の法門と開かれることになります。
この一大秘法の実体は「本門戒壇の大御本尊」であり、一切衆生を成仏に導く根本の本尊となるのです。
本門の本尊
本尊には根本尊崇(こんぽんそんすう)・本有尊形(ほんぬそんぎょう)・本来尊重(ほんらいそんじゅう)という意義があり、この三義がそなわってこそ、万人が信ずるに値する正しい本尊ということができます。大聖人は、
「本尊とは勝(すぐ)れたるを用ふべし」(『本尊問答抄』御書1275)
と仰せられ、一切に勝れた本尊を選別することの重要性を説かれています。
末法に出現された日蓮大聖人は、久遠本仏(くおんほんぶつ)としての御内証(ごないしょう)を一幅(いっぷく)の大曼荼羅(だいまんだら)本尊として顕されました。この大曼荼羅こそ、あらゆる人々を根本的に救う力用(りきゆう)をそなえる最勝最尊(さいしょうさいそん)の本尊であり、これを「本門の本尊」と称します。
この本門の本尊には「人」と「法」の義がそなわっています。
大聖人は、
「一念三千(いちねんさんぜん)の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたてたるは大曼荼羅なり」(『草木成仏口決』御書523)
と示されているように、御自身の御内証の事の一念三千の法を顕されたのが、大曼荼羅本尊(人即法)なのです。また、
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(『御義口伝』御書1773)
とも仰せられるように、久遠の法体(ほったい)を所持される日蓮大聖人の当体こそ本尊(法即人)なのです。
これを「人法一箇(にんぽういっか)」とも「人法体一(たいいち)」ともいいます。
大聖人は多くの曼荼羅本尊を顕されていますが、なかでも弘安(こうあん)二年十月十二日御図顕(ごずけん)の大曼荼羅こそ、まさしく究竟中(くきょうちゅう)の究竟であり、大聖人出世の本懐なのです。この本尊を「本門戒壇(かいだん)の大御本尊」と尊称(そんしょう)し、総本山大石寺に七百年の間、厳護(げんご)されています。
この大御本尊には、三大秘法の意義がそなわっており、全世界の民衆はこの御本尊によってのみ、真の即身成仏の大利益を享受(きょうじゅ)していくことができるのです。
本門の戒壇
本門の戒壇(かいだん)とは、本門の本尊を安置して信心修行するところをいいます。
戒とは防非止悪(ぼうひしあく:非道を防ぎ悪行を止める)の意で、戒壇とは仏の教えを信じ行ずる者が戒を受ける場所を指します。
戒壇は、時代を追って小乗の戒壇、大乗の戒壇と建立されてきましたが、これらはあくまで釈尊の熟脱(じゅくだつ)仏法における戒壇です。
末法今日においては、大聖人御建立の本門の本尊安置場所がそのまま戒壇であり、これを「本門の戒壇」と称します。
この本門の戒壇には、「事(じ)」と「義(ぎ)」の立て分けがあります。
「事」の戒壇とは、大聖人の出世の本懐とされる本門戒壇の大御本尊の住処(じゅうしょ)であり、「義」の戒壇とは、その意義が事の戒壇につうじるという意味で、各末寺・各家庭に下付された一機一縁(いっきいちえん)の御本尊の所住(しょじゅう)のところをいいます。
さらに大聖人は、この事の戒壇を広布の相に約して、
「戒壇とは王法(おうぼう)仏法に冥(みょう)じ、仏法王法に合して、王臣(おうしん)一同に本門の三秘密の法を持(たも)ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其(そ)の乃往(むかし)を末法濁悪(じょくあく)の未来に移さん時、(中略)霊山(りょうぜん)浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」(『三大秘法禀承事』御書1595)
と、事の戒法の究極的実相について述べられています。その建立の場所となる「最勝の地」については、第二祖日興上人への相承(そうじょう)書に、
「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(『日蓮一期(いちご)弘法(ぐほう)付嘱書』御書1675)
と、戒壇建立の霊地(れいち)を具体的に定められています。
本門の題目
本門の題目とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることをいいます。
この「南無妙法蓮華経」は、法華経各品(かくほん)に冠(かん)せられる妙法蓮華経の経題(きょうだい)とは異なり、寿量品の文底(もんてい)に秘沈(ひちん)された独一本門(どくいつほんもん)の本法(ほんぽう)であるとともに、久遠元初(くおんがんじょ)の本仏(ほんぶつ)の宝号(ほうごう)のことです。
大聖人は本門の題目について、
「久遠実成(くおんじつじょう)の名字(みょうじ)の妙法を余行(よぎょう)にわたさず、直達正観(じきたつしょうかん)・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(『本因妙抄』御書1684)
と仰せられ、その題目は御本仏自らが実際に行じられた「事行の題目」であることを示されています。
また本門の題目には「信」と「行」の立て分けがあります。「信」とは本門戒壇の大御本尊を絶対無二と信じ奉ることであり、「行」はその信心をもって唱題することをいいます。たとえ信ずる心があっても、唱題という実際の行がなければ功徳を成ずることはできず、また、唱題の修行があっても信心がなければ成仏は叶いません。このことを大聖人は、
「信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企(くわだ)つるがごとし」(『法蓮抄』御書814)
と誡(いまし)められ、信行具足(ぐそく)の題目でなければならないと教えられています。
さらに大聖人は、
「題目とは二意あり。(中略)像法には南岳(なんがく)・天台(てんだい)等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行(じぎょう)の為にして広く化他(けた)の為に説かず。是理行(りぎょう)の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘(わた)りて南無妙法蓮華経なり」(『三大秘法禀承事』御書1594)
と仰せのように、釈尊滅後の正法・像法時代の諸師が唱えた題目は、自身のみの行にかぎられた観念観法による理行の題目であると示され、大聖人の説き出された事行の南無妙法蓮華経こそが、一切衆生を教導し救済する自行化他にわたっての題目であると明かされました。
したがって、私たちは本門戒壇の大御本尊を唯一絶対の対境と尊崇し、信の一念をもって自行化他にわたる本門の題目を唱えていくことが大切なのです。
血脈(けちみゃく)とは、正法が師匠から弟子へ正しく継承されていくさまを、親子の血統(けっとう)・人体の血管が流れ連(つら)なることに例(たと)えた用語であり、相承とは、相伝承継(しょうけい)の意で、師匠からの血脈を「相(あ)い承(うけ)る」ことをいいます。
この血脈には別(べっ)しての血脈と、総(そう)じての血脈の二つの立て分けがあります。
別しての血脈とは、衆生救済の大法を未来万年まで正しく伝えるために、唯(ただ)一人の大導師(だいどうし)を定め師弟相対(していそうたい)して師の大法を弟子へ相承することで、「唯受一人(ゆいじゅいちにん)の血脈」のことをいいます。日蓮大聖人は、数多(あまた)の弟子の中から、ただ一人日興上人を選んで血脈を相承され、
「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨(びゃくれんあじゃり)日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時の待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月 日 日蓮花押
血脈の次第 日蓮日興」
(『日蓮一期弘法付嘱書』御書1675)
と、大聖人御内証の法体(ほったい)の相承を「血脈の次第 日蓮日興」と記し留(とど)められました。
このように、大聖人より日興上人へ相承された本門戒壇の大御本尊をはじめとする一切の法義・化儀(けぎ)・信条・広宣流布の大誓願・本門寺の戒壇建立の御遺命(ごゆいめい)は、日興上人より日目(にちもく)上人、日目上人より日道(にちどう)上人へと、唯受一人の血脈相承によって代々の御法主上人(ごほっすしょうにん)に受け継がれて七百年間、微塵(みじん)も絶(た)えることなく今日(こんにち)に伝えられています。
次に総じての血脈とは、大聖人以来の唯受一人の血脈相承に随って信心修行するところに流れる血脈をいい、これを「信心の血脈」といいます。
この総・別について大聖人は、
「総別の二義少しも相(あい)そむけば成仏思ひもよらず」(『曽谷殿御返事』御書1039)
と仰せられ、総・別の立て分けに背く信仰姿勢を厳しく誡められています。
日蓮正宗の僧俗は、血脈付法の御法主上人の御指南に信順して仏道修行に励むことが大切であり、そこに大聖人以来の信心の血脈が流れ通うことを忘れてはならないのです。
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