折伏は、不幸の原因である誤った宗教による考えを打ち破り、健全な人生と真の幸福をもたらす正しい宗教を教えることです。
現代は、科学文明や近代医学がめざましい進歩を遂(と)げています。しかし、それにもかかわらず、人間一人ひとりの苦悩や迷妄(めいもう)は解消されるどころか、かえって深まっているといえます。
私たちの周りを見ても、苦しみ悩んでいる人が大勢います。たとえば、
○ 病気で苦しんでいる人
○ 生活苦で悩んでいる人
○ 家庭内の問題で悩んでいる人
○ 人間関係で悩んでいる人
などです。
また、人生に迷っている人も少なくありません。例を挙げると、
○ 仕事や生き方に行き詰まりを感じている人
○ 目先の快楽(かいらく)に溺(おぼ)れている人
○ 生きがいを見いだせない人
○ 将来に不安を抱いている人
などです。
日蓮大聖人の仏法は、これらの苦悩する人々に正しい人生観を教え、幸福な生活を築く勇気と希望を与えていくものです。
折伏は、むずかしい教義を知らなければできないというものではありません。私たちの信仰する姿を見せることや、御本尊の偉大な力、身近な信仰体験を語っていくことも折伏につながります。
また、創価学会員等のように、悪宣伝に惑(まど)わされて正法から離れた人に対しては、清浄(しょうじょう)な総本山の様子や、法華講の信心活動について語っていくことも折伏になります。
要は、相手に対する思いやりの心と誠意をもって臨むならば、折伏は誰にでもできるものなのです。
日蓮大聖人は、私たちの人生の様々な苦悩は、過去世の罪障(ざいしょう)によるものであると説かれています。
その罪障の中でも最も重いものは、正法誹謗(しょうぼうひぼう)による謗法罪(ほうぼうざい)です。
折伏を行ずることによって、この重罪を消し去り、成仏の大利益(だいりやく)を受けることができるのです。
日蓮大聖人が、
「謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし」(曽谷殿御返事)
と仰せのように、折伏の実践は、悩める人を救っていくと同時に、自身の成仏のためにも欠かせない仏道修行なのです。
私たちの折伏へのたゆまぬ努力は、日蓮大聖人の御遺命(ごゆいめい)である広宣流布(こうせんるふ)の実現へとつながります。
広宣流布とは、大聖人の仏法を広く社会に弘めることによって世の中を浄化し、民衆の幸福と社会の平和を築くことをいうのです。
日蓮大聖人は、常に人々の幸せを願って教えを説かれました。そして、
「(大聖人の)弟子(でし)檀那(だんな)とならん人々は宿縁(しゅくえん)ふかしと思ひて、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(寂日房御書)
と仰せです。
日蓮大聖人の弟子・信徒である私たちは、自らの徳を積む修行のためにも、これらの御教示を心にとどめ、折伏を実践していきましょう。
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